多少の犠牲

愛の誓いを強要することは出来ない。

これは男女関係に深く根ざす問題のひとつだ。

男は愛よりも多くの自由を必要とし、女は自由よりも多くの愛を必要とする。

これは世界各国の夫婦や恋人が抱える問題だ。 女性は自由の心配など全くしていない。

相手も奴隷に出来さえすれば女性は喜んで奴隷になるし、相手も愛を誓わざるを得なければ女性は喜んで愛を誓う。相手が暗い監房に住む用意があれば、女性は監獄にだって喜んで住む。

男性は自分の自由がいよいよ危うくなると、愛でさえ犠牲にする用意がある。

男性は広々とした空の中で生きたいと思っている。たとえ1人でもその方がいいと。

男性は、愛ある温かい暮らしがしたいと思う。しかしその暮らしは暗いものに、女性を監禁するものとなる。

これが男性の悩みの種だ。

このことに両者の理解があれば、どこかで決着は付く。

男性が自由への欲求を少々削り、女性が自分への関わりと所有への欲求を少々削れば、フィフティ・フィフティでバランスが取れる。

女性側のニーズが50%の愛、50%の愛の誓いとなり、男性のニーズが50%の愛、50%の自由となれば、理解と成長が可能となる。

あなたが相手に100%愛の誓いを要求し、相手が100%の自由を要求したら、喧嘩や口論、小言が絶えなくなるのは必至だ・・・これでは悲惨だ。

そんなことをしても何の意味もない。

それなら他の人を見つけなさい。

愛を誓いたいと思う人に出会うこともあるかもしれないし、相手も自由を認めてくれる人に出会うかもしれない。

過剰に関わりを求めるのも、自由、自由と言うのも、どちらも未熟なのだと気づくことだ。

人はどこかで折り合いをつけなくてはならない。

一度、男性にはもっと自由が必要なのだと理解したら、あなたは愛の誓いを要求するのを止める。一度、女性には深い関わりが必要なのだと理解した男性は、自由を求めるのを止める。それだけだ。

愛する気持ちがある人は、多少の犠牲を覚悟している。愛する気持ちのない人は、別れた方が良い。自分の成長となる理解を得なさい。

OSHO

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次