『男と女と瞑想と愛』

弟子がOSHOにこう質問した所から始まります。

読んでみてください。

男性と女性の違いについて・・・

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質問:女性エネルギーに関しての質問が少なくありません。ある女性達はあなたに出会って以来、肉体的な欲求は引き続いてあるにも関わらず、普通の男性は彼女達にとって、もはや充分満足感を与えるものではないと言っています。

あるいは、あなたに会って以来、以前より愛情豊かに感じると言っている女性達もいます。 グルジェフは、女性は、男性を通してしか達成出来ないと言ったと伝えられます。

女性エネルギーについて話して頂けますか?

OSHO:そうグルジェフは、女性は、男性を通してしか道を達成出来ないと言っている。

そして彼は正しい・・・彼の言っていることは正しい。 なぜなら女性エネルギーは、男性エネルギーとは違っているからだ。

これはちょうど、誰かが子供を産めるのは女性だけだ、と言っているようなもの。男性は、子供を産むことは出来ない。 男性が子供を誕生させることが出来るのは、女性を通してだけだ。

女性の物理的構造には、子宮が含まれているが、 男性の物理的構造には、子宮は入っていない。

彼は女性を通じてしか、子供を誕生させることは出来ない。 同じことが逆の形で、スピリチュアルな世界での誕生に関して起こる。

女性は、男性を通じてしか光明を得ることは出来ない。

ちょうどその肉体上の違いのように、彼女達のスピリチュアルエネルギーもまた、異なっている。

なぜ?それはなぜそうなのだろう? 憶えておいて欲しい。

これは、平等とか不平等とかいうことの問題ではない。 これは、単なる違いの問題だ。

女性は、直接達成することが出来ないからと言って、男性より低い存在という訳ではない。

男性は、直接子供を産めないからといって、女性より低い存在という訳ではない。

男性と女性は違うのだ!

そこには、平等とか不平等とかの問題はない。 そこには、価値評価は入っていない。 男性と女性とは、ただ違っているだけで、それは事実なのだ。

では、なぜ女性にとって、直接光明に達することが困難なのだろうか? そしてまた、なぜ直接光明を得ることが、男性には可能なのだろうか?

覚醒に到る道は2つ、2つだけ、基本的には2つだけだ。

「1つは瞑想」もう「1つは愛の道」だ。

「ギヤナヨーガ」と「バクティヨーガ」 つまり、智慧の道と献身の道と呼んでも構わない。

基本的には、道は2つしかない。 愛には他者が必要だが、瞑想は独りでも出来る。

男性は、瞑想を通じて到達することが出来る。だから、直接到ることが出来ると言われるのだ。

男性は、独りになることが出来る。 男性は、深いところでは孤独な存在だ。 孤独は、男性には自然にやって来る。女性にとって、独りでいることは難しい。 極めて難しい、ほとんど不可能なこと。 彼女の存在全体が、愛への深い衝動にかられている。

そして、愛する為には相手がいる。

相手がいなかったら、どうやって愛せる?

相手がいなくても、瞑想することは出来る・・・そこには何も問題はない。 女性、女性エネルギー・・・これは愛を通して、瞑想的な状態に到達する。 男性エネルギーは、瞑想を通して愛に到る。 仏陀が偉大な愛の力となったのは、瞑想を通してだ。

OSHO

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