タントラは自然に神に至る道

「タントラは自然に神に至る道、無理をせず神に至る道だ。
究極の自然と溶け合うために、完全に本能的になること、無心になることが目標だ――女性は消えうせて究極なるものへの扉となり、男性は消えうせて究極なるものへの扉となる。

 タントラは人間のセクシュアリティを定義して言う――それは絶対的な無垢、絶対的な『ひとつ』への回帰だ、と。最良の性的な興奮とは、興奮を探し求めることなく、ただ静かに待つことだ――完全にリラックスして、まったく無心になって。
人は意識的になる、意識的であるために意識的になる。人は意識そのものだ。人は満ち足りているが、なにかに満たされているのではない。そんなとき、そこにはすばらしい美が、すばらしい祝福がある。

 質問者は尋ねている、『タントラ・セックスとはなんですか……特定の技法に基づく瞑想的なセックスでしょうか?』

 テクニック志向になりすぎたら、あなたはタントラの神秘を見逃してしまう。
技法に基づくのは偽のタントラだ。
というのも、技法があるかぎり、そこにはエゴがあって、コントロールしているからだ。
そのとき、あなたがそれをやっている――そして『する』ことが問題だ、『する』ことは行為者を生む。
タントラは無為でなければならない。
それは技法的なものではけっしてない。
技法なら学ぶことができる――性交が長引くように特定の呼吸法を習うことができる。
とてもゆっくり呼吸したら、急がないで呼吸したら、性交は長引くが、あなたはコントロールしている。
それは野生的ではない、無邪気なものではない、また瞑想的でもない。
それは心(マインド)のものだ――どうしてそれが瞑想になる? 
心がコントロールしている。
あなたは早く呼吸することさえできない、呼吸をゆっくりに保たなければならない――呼吸がゆっくりだったら射精には時間がかかる。
なぜなら、射精が起きるには呼吸が早く、乱れたものにならなければいけないからだ。とはいえ、これはテクニックであってタントラではない。

タントラはテクニックではなくて祈りだ。
それは頭脳志向ではなくてハートへのリラクセーションだ。
それを覚えておきなさい。
タントラについて多くの本が書かれてきた。
それらはみんなテクニックについて語っているが、ほんとうのタントラはテクニックとはなんの関係もない。
ほんとうのタントラは書くことができない、ほんとうのタントラは身につけなければならない。
ほんとうのタントラをどうやって身につけるか? 
あなたは自分のアプローチ全体を変容させなければいけない。

OSHO

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次